旭川市 旧陸軍第7師団 覆馬場
先日から旭川の煉瓦建築をUPしています、明治の頃から軍都として「旭川」は発展し、これまで紹介したように第7師団のためインフラ整備が進み、醸造業はじめ多くの商店が誕生し、経済は活況したのでしょうね~旧第7師団とは大日本帝国陸軍の師団で明治18年に、北海道の開拓とロシアの南下に伴い防衛を兼ねて設置され、屯田兵を母体とし明治29年編成され「北鎮部隊」と呼ばれていました。
旭川から明治37年には日露戦争に従軍、大正6年にはシベリアに出兵するなど、北海道の部隊ですから寒冷な戦地に適応するとの判断ではなかろうかと思います。初代師団長として、今も永山地区にその名を残す「永山武四郎」が明治18年から明治29年まで指揮を執っていました。今日の建物は、旧陸軍第7師団 騎兵第七連隊に付属するもので、冬期間、軍馬を調教するための覆馬場 (屋根付きの馬場) です。
明治36年の師団配置図には覆馬場ありませんので、大正2年頃の建築と言われています、当事は各連隊に馬場があり4棟あったと資料にはあります。現在は旭川電気軌道 (株) の整備工場となっています。写真のように撮影時は真冬で雪の中でありましたが、大正の始めもこのよううな雪景色を外に見て、たくましい軍馬が鼻から白い息を吐き、睫毛を凍らせながら軍事調教していたのでしょうね~軍馬のいななきが聞こえてきそうです、、、
(資料提供 JIN さん)
by flycoachman
| 2014-04-12 23:17
| 煉瓦建築