北海道クラシックカーラリー 6
引き続き、北海道クラシックカーラリー今夜は、国産車の紹介です、最初は、三菱500 Super DX 大衆車として三菱が売り出しましたが、500ccと言うエンジンスペックで無骨なデザインのためか、あまり売れ売れなかったようでした。空冷エンジンをリアに積むスタイルはこの時代は多かったですね~ 1960年~1962年のわずか2年間の生産でしたからラリーに参加出来るようなコンデションを維持していたのは珍しいのかも知れません。その後、三菱コルト600へと生産をシフトしていきましたね~当時、無骨と思えたデザインはフイァットを参考にしたせいでしょうか、カワイイ感じがしないでも、、
トヨタ200GT ですね~日本の自動車産業黎明期から、常にトップを走り続け、今や世界のTOYOTA になつたトヨタ自動車ですが、本格的なスポーツカーを発売したのは遅かったですね~トヨタファンには人気のトヨタ200GT ですが、よく知られた話で「YAMAHA」の技術陣が作り上げた車に、TOYOTAのエンブレムを付けたクルマ、と口の悪いカージャーナリストがよく車雑誌に書いてありましたね~どこの技術者が作った車であろうと、紛れもなく誇るべき日本の技術者が創りあげた名車の一台には変わりありません!
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Mitsubishi 500 Super DX 1962年製
世界初のロータリーエンジンを載せた量産スポーツカー MAZDA COSMO SPORT ですね。そのデザインは未来を感じさせる斬新さでした。以降、レーシング界でもロータリーエンジンの活躍はずば抜けて目覚しく、国内や世界の自動車レースのレギレーションを変えてしまうほどの活躍でした。市販された「ファミリア」「サバンナ」「カペラ」「ルーチェ」「RX-7」などはアクセルを踏み込むとシートに体が押し付けられる「G」体験もできましたね~オイルショック以降、燃費の悪いロータリーエンジンは次第に衰退していきました、、
MAZDA COSMO SPORT 1967年製
TOYOTA 2000GT 1968年製
世界のホンダがオートバイの技術をもって造ったのが、S500 S600 S800 N360 などの空冷エンジンの車でした。創始者 本田宗一郎 は世界のオートバイレース参戦してホンダオートバイの技術の優秀性を確信したのでしょうね~他の国産メーカーが大衆車を目指したのに対しツーシーターのスポーツカーを国産車で初めてヨーロッパへ輸出しています、オートバイの輸出のノウハウは持っていたでししょうが、極東の小さな島国の小さなメーカーがスポーツカーの本場へスポーツカーを輸出したんですね~凄い! です。ホンダのファンは本田宗一郎のファンかもしれません。私も彼の著作から多くの事を学ばさせてもらいました。
HONDA S800 1966年製 ?
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by flycoachman
| 2014-07-21 00:05
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