上山鼻神社
新年でありますので、昨日に続き軟石と神社関連の話しです。南区の石山通り32条付近から藻岩山裾が国道230号線に迫り出し、古くから通称「軍艦岬」と呼ばれている場所があります。豊平川にも近く軍艦が海へと進水する様を想像させる事から名付けられたのではと想像します。明治の当時、石山地区から軟石や生活物資を馬車、馬橇で運搬する際は当時の地形からしても交通の難所であつたと思われますね~そんな場所柄からでしょうか、同所に「上山鼻神社」があります。以下、南区のHPからの転記です。
明治24年 馬匹の無事息災を祈念して、谷津彦作が神主代理を勤めて、馬霊奇神社の石碑を現国道230号、御幸通三叉路の辺りに建立したのが同神社の起源である。また、明治41年、長堀権吉が渡道した折り持参した「猿田彦大神」の掛け軸を人々が参拝し、庚申講と称して石碑を建立して併せ祭った。明治43年、山本鉄四郎他により間口3間、奥行き4間の神社に改新した。昭和11年(1936年)5月にこれを現在の藻岩下歩道橋南側に遷座。昭和17年農作物育成の神、植安姫命を併せ祭った。昭和24年9月社殿を東側山腹に造営した。例大祭は、9月14日と15日
先日、訪れた際、小さな社に続く軟石の階段は除雪され、初詣の数人の足跡がありましたが、そこだけ忘れられたような静かな空間でありましたね、しかし軟石でできた「鳥居」と社名を示す石柱が歴史を物語るように、凛として建っていました。鳥居の札幌軟石の島木は中央に継ぎ目のない一本の通しもので当時の氏子さんたちの心意気が感じられますね~
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明治24年 馬匹の無事息災を祈念して、谷津彦作が神主代理を勤めて、馬霊奇神社の石碑を現国道230号、御幸通三叉路の辺りに建立したのが同神社の起源である。また、明治41年、長堀権吉が渡道した折り持参した「猿田彦大神」の掛け軸を人々が参拝し、庚申講と称して石碑を建立して併せ祭った。明治43年、山本鉄四郎他により間口3間、奥行き4間の神社に改新した。昭和11年(1936年)5月にこれを現在の藻岩下歩道橋南側に遷座。昭和17年農作物育成の神、植安姫命を併せ祭った。昭和24年9月社殿を東側山腹に造営した。例大祭は、9月14日と15日
先日、訪れた際、小さな社に続く軟石の階段は除雪され、初詣の数人の足跡がありましたが、そこだけ忘れられたような静かな空間でありましたね、しかし軟石でできた「鳥居」と社名を示す石柱が歴史を物語るように、凛として建っていました。鳥居の札幌軟石の島木は中央に継ぎ目のない一本の通しもので当時の氏子さんたちの心意気が感じられますね~
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by flycoachman
| 2015-01-05 21:35
| 札幌軟石