長沼農協軟石倉庫
長沼町の開基が明治20年だそうです、隣町の北広島が明治17年、由仁町が明治19年で、僅かながら開拓の鍬が入ったのは遅かったようで、千歳川、夕張川に挟まれた低湿地帯であったことが理由だったのかも知れませんね。現在では見渡す限りの穀倉地帯で四季折々に豊かな田園風景が広がっています。役場にほど近い場所に農協倉庫が数棟あり七号倉庫と記されている軟石倉庫がありました。訪ねるにあたり役場で聞いてみましたが、建築年など詳細は不明でした。妻側の壁に塗られたモルタルには屋号ならぬ「農協マーク」が付けられ、比較的新しい倉庫ではないでしょうか、、私達の世代は「長沼」と聞けば昭和44年に起こった「長沼ナイキ基地訴訟」を思い出します~この豊かな田園に自衛隊のミサイル基地ができる、その是非を問う裁判で、一審は原告の訴えを認めたものの、二審では司法審査の範囲外にあるとの判断で、最高裁での判断を仰ぐ長い裁判となりましたが、結局最高裁では自衛隊の違憲性には触れず、原告住民には訴えの利益なしとの判断でした。豊かな穀倉地帯ではありますが 馬追の丘陵「マウ・オ・イ(ハマナスの実があるところ)」にはミサイルは似合いませんね、、
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by flycoachman
| 2015-03-14 00:20
| 札幌軟石