小樽軟石建築 2
「小樽」の地名はアイヌ語の「オタ・オル・ナイ」に由来するそうです。明治二年に開拓使が札幌に置かれましたが、物資の輸送は船舶が主流で、そのために小樽港の整備、運河、倉庫の建設が急務で、インフラが整いだすと、本州から大企業の支店が次々と建設され、北海道の行政の中心地は札幌、経済の中心地は小樽となり「北のウォール街」などと呼ばれていました。その時代の建築物群が現在の小樽観光のベースとなって年間700万人以上の観光客を呼び込んでいるのですね~小樽市では昭和58年に「小樽市歴史的建造物及び景観地区保全条例」を制定して建築物の保存に努めています。制定に際し調査の対象になった物が2.357棟有ったそうです。これほど多くの軟石建築を中心にした建物をすべて「小樽市指定歴史的建造」に指定する訳にも行きませんので、絞り込んで現在、小樽市指定歴史的建造物は77件あるそうです。これだけの数、古い建築物があるのですから爺としても忙しい、忙しい、、、今日の画像は自動車整備工場」と「おもちや屋」の看板がでていた軟石倉庫です。(参考 小樽市HP) 明治の40年頃、小樽に仮寓した漂泊の歌人 石川啄木は
「かなしきは小樽の町よ 歌ふことなき人人の 声の荒さよ」 (一握の砂)
赤貧のどん底なれど「小樽日報」の記者としての矜持をこめ詠んだのかも知れませんね~小樽の賑わいが伝わってきそうです。 ↓の屋号の読みは何と発音するのでしょうね~又、悩みが増えました(笑)
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by flycoachman
| 2015-05-30 22:49
| 小樽軟石