「滝川神社」狛犬(滝川市)
由緒によれば 「明治23年7月、屯田兵四百四十戸が移住して神霊遥拝所を建設した。開拓守護の神とし二の坂丘上に祀る。明治28年8月、本殿を二の坂に建立して滝川神社と称した。明治36年2月、滝川神社を一の坂に建立する、、、以下略」明治初期の開拓者の多くは屯田兵から始まったようで、滝川にも四百四十戸が入植したそうです。旧社格で言えば「縣社」で大きな神明造りの拝殿、神殿に威厳がありますね~狛犬は一対で軟石狛犬。阿吽(あうん)は定位置でした。はて、この恐ろし気な狛ちゃんの貌はどこかで見たような、帰宅後資料を当たれば、銘はありませんが「鏑木石五郎」の作ではとの思いに至りました。
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軟石狛犬の基本形を大別すれば「山崎型」「鏑木型」に分類されるそうで、こちらの狛犬は以前に紹介した「白石神社(リンク参照)」の物と非常によく似ています、他にも「大谷地神社(リンク参照)」にもありますが、銘が入っているのは私が現認した白石神社の狛犬だけです。奉献年が大正六年で「鏑木石五郎」さんは各神社からの注文が入り忙しかったのではないでしょうか、台座に入った奉献者「吉田伊太郎」さんの由来を読めば、文久三年、香川県生まれの伊太郎さんは 明治二十五年渡道し当地に入植、、以下略 滝川に来たのが二十七歳の時で、思うに狛犬を奉献するほどに功成りて財をなした伊太郎さんが、奉献したのが五十四歳の時です。存命とすれば百五十二歳のはず!台座に彫られた文字の行間でも時間軸に絡まり楽しめる、面白い、面白い!
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by flycoachman
| 2015-11-14 22:44
| 狛犬