北海道photo一撮り旅

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カテゴリ:煉瓦建築( 14 )

連日、旭川市の煉瓦建築をUPしていると、旭川在住の友人から煉瓦倉庫の画像を送っていただきました。画像から判断すると、昭和初期の穀物倉庫の印象です。倉庫の周囲は空き地になりポツンと其処だけ「昭和」がたたずんでいるようです~堅牢なイギリス積みの二階建て倉庫でフロアの仕切りや切妻の装飾を兼ねて石材が使われています。建築年からみても、とても状態の良い倉庫だと思います、軟石造りの倉庫なら煉瓦に比べパーツが少ないので他所に移築も可能ですが、二階建て煉瓦倉庫を解体して移築、保存となれば、、相当な費用がかかりそうですね~旭川市の財政が豊かになり「旭川遺産」となり保存されるまで、解体されなければよいのですが、、、
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by flycoachman | 2014-04-13 23:43 | 煉瓦建築
先日から旭川の煉瓦建築をUPしています、明治の頃から軍都として「旭川」は発展し、これまで紹介したように第7師団のためインフラ整備が進み、醸造業はじめ多くの商店が誕生し、経済は活況したのでしょうね~旧第7師団とは大日本帝国陸軍の師団で明治18年に、北海道の開拓とロシアの南下に伴い防衛を兼ねて設置され、屯田兵を母体とし明治29年編成され「北鎮部隊」と呼ばれていました。旭川から明治37年には日露戦争に従軍、大正6年にはシベリアに出兵するなど、北海道の部隊ですから寒冷な戦地に適応するとの判断ではなかろうかと思います。初代師団長として、今も永山地区にその名を残す「永山武四郎」が明治18年から明治29年まで指揮を執っていました。今日の建物は、旧陸軍第7師団 騎兵第七連隊に付属するもので、冬期間、軍馬を調教するための覆馬場 (屋根付きの馬場) です。明治36年の師団配置図には覆馬場ありませんので、大正2年頃の建築と言われています、当事は各連隊に馬場があり4棟あったと資料にはあります。現在は旭川電気軌道 (株) の整備工場となっています。写真のように撮影時は真冬で雪の中でありましたが、大正の始めもこのよううな雪景色を外に見て、たくましい軍馬が鼻から白い息を吐き、睫毛を凍らせながら軍事調教していたのでしょうね~軍馬のいななきが聞こえてきそうです、、、
  (資料提供 JIN さん)  
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by flycoachman | 2014-04-12 23:17 | 煉瓦建築

旭川市 大町「宇治園」

旭川市大町1条3丁目、国道40号線に面して古い二階建ての煉瓦建築があります。昭和43年に、お茶の「宇治園」旭川支店として開設された店舗ですが、元の持ち主や用途は不明でした。造りをみると二階には窓が多くそれぞれの窓に「まぐさ」が装飾され倉庫や住宅ではなく最初から店舗として建てられたようですね~宇治園の沿革をたどると、慶応元年、重村又三郎により宇治茶製造販売を京都で始めたようで、数代を経て会社組織になり 北海道の寒冷な気候では茶の栽培が難しいと考えたのでしようね、宇治茶の販売のため昭和22年に函館に出店したのが最初で、現在は札幌市に本社を構えています。北海道民には馴染み深いブランドですね!煉瓦は長手積みのようです、画像は屋根に重そうな雪が積もって屋根が見えませんが雪のない画像をみるとお茶屋さんらしい、緑色に塗られた特徴的なマンサード屋根です。目地が白漆喰で赤煉瓦が映えますね~
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by flycoachman | 2014-04-11 23:05 | 煉瓦建築
旭川市中心部から東方面に行くと昔から病院の多い地域でしたね、厚生病院があった付近に、現「丸京橋本クリーニング」の看板がでている古い二階建て煉瓦建築があります。2条10丁目の西角地に木造のお洒落な個人宅の両側にある古そうな煉瓦倉庫です、建築年など詳細は不明ですが、イギリス積みの倉庫は全ての角側と二階との仕切りを「焼き過ぎ煉瓦」を装飾をかねて囲み、丈夫な煉瓦積みが更に堅牢に見えますね、旭川市の中心部に近いところにこのような煉瓦建築がまだ残っているとは、驚きでした!
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by flycoachman | 2014-04-10 22:39 | 煉瓦建築
一番よい酒「登鶴」このキャッチコピーを覚えている人は、かなりの飲兵衛さんではないでしょうか (笑) 旭川市3条18丁目で「世木澤酒造」として創業、昭和24年から昭和61年に廃業するまで、一番良い酒「登鶴」を造っていました。戦後、物品販売の広告 (CM) の重要性が見直され、それまでは日本酒名の前には「清酒」とか「特級」「一級酒」「合成酒」「銘酒」など書かれていましたが、「登鶴」は、新聞広告やホーロー製の壁掛け看板の商品銘の前に「一番よい酒」とか「キンモン」 (金紋の意味か?) のキャッチコピーを付けていましたね~コピーのせいか親しみやすい銘柄のイメージがありました。今日の更新は「登鶴」の創業家です。酒蔵があった場所の程近いところに古風な和洋折衷の煉瓦建築がありました。石造りの酒蔵は神楽岡に移築され ロバ菓子司が営業する菓子工房「The Sun蔵人」になっています。なお「登鶴」のブランド銘は栗山町の老舗酒蔵「小林酒造」が引き継いだと伝わっています。
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by flycoachman | 2014-04-09 00:51 | 煉瓦建築
今年の1月のブログに旭川市宮下通り11丁目にある「上川倉庫群 」を紹介しましたが、今日の更新も、その上川倉庫に程近い、ビァホール「銀座ライオン」 (旧・館脇倉庫) の紹介です。明治28年「館脇米蔵」が館脇煉瓦旭川工場を創業します、明治28年ですと、札幌白石で大久保煉瓦工場の創業が明治15年ですから遅れること13年で、滝川~旭川の鉄道開通が明治31年、この鉄道の敷設に際しトンネル壁や橋梁桁など大量の煉瓦が必要だったと推測します、明治の当事は鉄筋コンクリートがまだ工法として一般的ではなく煉瓦が多用されていました。明治42年に工場閉鎖になりましたが、館脇煉瓦工場製の煉瓦建物はどのくらい作られ、どのくらい残っているのでしょうね、館脇倉庫は明治28年創業以来現在もなを倉庫業「株式会社 館脇倉庫」として現存しています。今日の更新は明治43年に建てられた「銀座ライオン」ですが、正式会社名は株式会社サッポロライオン」で全国に200店舗以上展開しているレストランチェーンですね、エビスビール、札幌ビール園など系列会社が多数あります。札幌のライオンもそうですが、レトロな雰囲気でジンギスカンとビール、、なんだか飲みたくなってきて、、、、
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by flycoachman | 2014-04-07 23:40 | 煉瓦建築
旭川市は川の街とも言われています、石狩川を代表として国土交通省管理の一級河川が6河川、北海道管理が43河川、旭川市管理の普通河川が、113河川もあります~大小あわせて合計162もの川が旭川市を流れているのですね (旭川市土木管理課HP調べ) 旭川で育った私ですがこの数字には驚きました、東に北海道の文鎮とも思える広大な大雪山連峰からの伏流水が上川盆地に流れ込んで、やがて石狩川となって田畑を潤しているのですね、潤されたのは田畑ばかりではなく、人間の喉を潤すお酒にもなっていました。豊かな良い水を求めて全国から酒造家が旭川に集まりました。手元の資料には現存する酒造会社として「男山株式会社ー男山」「高砂酒造株式会社ー国士無双」「合同酒精株式会社ー焼酎ビッグマン」消滅した会社として「神谷酒造ー後の合同酒精」「世木澤酒造ー登鶴」「大谷酒造」「塩野谷酒造」「岡田工場」「大内酒造」「野崎酒造」「石崎酒造」「宮田酒造」さらに現在札幌に工場集約された「千歳鶴」など私が確認できただけでも13社もの酒造会社が昭和の30年代に旭川にありました。今日の煉瓦建築は「合同酒精酒精蒸留塔」です。全国的にも珍しい五階建ての煉瓦製酒精蒸留塔です、大正3年竣工で内部は吹き抜けで大型の酒精蒸留器が据えつけられていたそうです。旭川市の図書館から友人が資料をコピーしてくれました。珍しい内部構造図と思います (資料協力 JINさん)
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工場敷地内には酒精蒸留塔と並んで大型の煉瓦倉庫がありました、これも大正期の建築かと思います
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by flycoachman | 2014-04-04 23:52 | 煉瓦建築
全国に旧国鉄の機関区に付属した工場は、数多くありましたが、煉瓦建築で現存する鉄道車輌工場は少ないですね~旭川市宮前東に明治32年に平屋の煉瓦造りで「鍛冶工場」「旋盤工場」として2棟建てられました。昭和の30年代、周囲には旭川機関区、車両基地、国鉄官舎、宮前球場など旧国鉄の建物が多くありましたね、、またも私事ですが、幼い時期を此処の近くで過ごしました。夜間の貨物列車の入れ替え作業、蒸気機関車の汽笛、踏み切りの警報音、音と匂いが記憶の奥底にまだありました。建物は正面に大きなアーチ型の「まぐさ」があり当時は引込み線が敷かれ機関車が入れたようです。まぐさ中央部の要石には、「○の中に北」の屋号?がありますが、これは当時の「北海道庁鉄道部」が神居台場の直営煉瓦工場で焼かれた事を示しています。煉瓦は美しいフランス積みで明治の昔は意匠にもこだわっていたようですね~現在は市が管理し旭川市市民活動交流センターとして活用されています。この建物を設計した土木工学家「田邊朔郎」氏は、北海道庁鉄道部長として北海道官設鉄道の計画、建設に貢献しています。明治の煉瓦建築が今なお時代を超えて使われ続けている、、いいですネ     (旭川市の煉瓦建築に関して資料の収集に協力いただいた JIN 氏に感謝申し上げます)
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by flycoachman | 2014-04-03 23:54 | 煉瓦建築
google Map で江別市から豊幌方面を眺めていると、河川が多い地域であると解りますね、北海道の母なる川「石狩川」を始め「千歳川」「夕張川」「幌向川」「清真布川」と多くの川に囲まれた地域です。今に残る旧石狩川、旧幌向川の三日月湖があり、大きく蛇行する石狩の大河を見ながら、明治の初め開拓の鍬を降ろした先人たちは洪水との戦いだった事は想像に難くないですね、随分前に読んだ本「新十津川物語」川村 たかし著 を思い出しました。今から120年ほど前、奈良県十津川郷から山津波のため、新天地を求めて遠く離れた北海道への移住を決意した十津川郷士の開拓物語です。水害から逃れ滝川近くに集団移住し、開拓するも石狩川の氾濫で又も洪水被害を受け、追い討ちをかけるように稲作の病虫害、筆舌に尽くしがたいご苦労の物語でした。石狩川の洪水を調べていると「石狩川振興財団」のHPに昭和56年の水害で豊幌地区で被災された方の手記がありましたので転記いたします。  「豊幌駅前で理容店を開いて今年で51年になりますが、この間はまさに洪水との闘いでした。昭和36年と37年、50年、そして56年の、4回も浸水被害に遭いました。なかでも昭和56年上旬洪水は思い出したくないほどの被害でした。1階の天井あたりまで水に浸かったのです。計ったら2.8mもありましたが、地域には2階まで水に浸かって屋根しか見えないお宅も5、6軒ほどあり、ひどい状況でした。また国道と鉄道が不通になり、1週間程、交通網が寸断されました。4日間避難していましたが、洪水後の後片付けも大変な苦労です。水は3日経ってもひかず、上の清んだ部分を使って壁を洗うのですが、匂いがきつくてたまらない。使えなくなった大量の家財道具の処分もあります。結局、6年後に家を建て直しました。駅前には小さな商店街があったのですが、みな洪水後に出ていって、3軒しか残らなかった。うちも洪水後は商売にならず、田植えや稲刈りを手伝いながら、なんとかこらえて乗り越えてきたのです」加藤 英作氏談  貴重な体験談ですね~この水害を契機に「千歳川放水路」の議論が活発になったことはまだ記憶に新しいことですね。さて、今日の画像は豊幌地区に点在している煉瓦のサイロです。水害以前から酪農が盛んだったようで国道12号線からも見つけることができました。屋根が破損しているサイロもありましたが、これもまた時代の変遷を感じさせられますね~
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by flycoachman | 2014-03-28 23:33 | 煉瓦建築
江別市内から国道12号線を北へ進み千歳川、夕張川を越えると函館本線JR「豊幌駅」があります。小さな駅ですが、駅前に中世ヨーロッパの城郭を模したともとれる煉瓦製の電話ボックスのモニュメントがありました。煉瓦での町おこしに力を入れている江別市らしい素晴らしいモニュメントです。平成2年の完成で埋め込まれた銘板には、設置者「豊幌自治会」「豊幌町内自治会」協力 「江別市」「ダイヤ企業株式会社」設計 施工「上野煉瓦工務店」とあり地域の皆さんの協力があって出来た記念碑的な意味合いを持つものだと感じました。使われた煉瓦は約1万1千個、現在の煉瓦職人の技術を後世に伝え残す為のモニュメントでもあるのでしょうね、多彩な飾り積みに職人の確かな技術とセンスを感じました。

函館本線JR「豊幌駅」駅舎にも煉瓦が使われたいました
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国道12号線側から撮りました
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by flycoachman | 2014-03-27 23:15 | 煉瓦建築

by coachman