北海道photo一撮り旅

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カテゴリ:小樽軟石( 17 )

小樽軟石建築 15

余市、小樽と続けてきた「軟石建築」も終わりに近くなってきました、紹介していない軟石の建築物がまだまだありますが、ご容赦!余市、小樽市以外の軟石建築物は追ってUPいたします。今日の画像は「旧上勢友吉商店」と裏通りに普通に建っていた軟石倉庫のラーメン屋さんです。旧上勢友吉商店は「小樽市指定歴史的建造物」で石造3階建、屋根窓を持った珍しい建物ですね~今に残る小樽の建物を見れば、昭和の頃、続々と建った無味乾燥で情趣がなくシンメトリーな形状のコンクリートビルと比較してしまい、明治、大正の建築家や建て主がいかに意匠に拘ったかが見てとれますね~明治、大正の意匠がそのまま小樽市のイメージになっているような、、最後の画像は小樽駅近く竜宮神社の境内から見つけた瓦屋根の軟石倉庫です、時代を偲べる価値ある歴史的建造物あり、普通の軟石倉庫がラーメン屋さんになっていたり、「小樽」は素晴らしい!
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by flycoachman | 2015-06-16 23:19 | 小樽軟石

小樽軟石建築 14

小樽市が昭和58年に行った「歴史的建造物」の調査対象に各当したものが、2.357棟あったそうです。全てが軟石建築ではありませが、これほど多くの古い建物が、最盛期でも人口20万人ほどの街に近年まであったとは驚きですね、、明治2年に蝦夷地を北海道、オタルナイを小樽と改めた開拓使は手宮に「海官所」を開設して本格的に小樽の開発が始まりました。小樽に電灯が点ったのが明治28年の事で、それ以前は照明は「ランプ」や「ローソク」煮炊きは「かまど」「七輪」など直火で生活していましたので火災が多く、明治13年の芝居町大火から明治44年の手宮裡町(手宮裏町)の大火まで、焼失家屋100戸以上の火災が19回もあったそうです、そこで堅牢で防火性の高い石造りの建築物が多数作られたようですね、幸いにも小樽近郊には3ヶ所ほどの採石場があり、札幌の石山軟石とも合わせ大火事が起きる度に耐火建築の需要が高まったのではないかと想像します。市内の小路に踏み入れば大小様々な軟石建築が目に付きます~今日の画像は「歴史的建造物」のリストにも載らず市井の生活に馴染み溶け込んだ軟石群です(参考 小樽市HP)
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by flycoachman | 2015-06-15 22:41 | 小樽軟石

小樽軟石建築 13

石川啄木が明治40年の小樽を詠んでいる「かなしきは小樽の町よ 歌ふことなき人人の声の荒さよ」小樽港を見下ろす高台にある「水天宮」に昭和55年に建立された歌碑があり往時の小樽の活況を啄木が伝えていますね~明治より北のウオール街と称されるように、北海道の経済の中心地でした。水産業や樺太航路で賑わっていましたが、啄木は好景気時の小樽の新聞記者でありながら、文字通りの赤貧であり新聞記者としての矜持からでしょうか「歌ふことなき人人の声の荒さよ」と自身を慰めていたのかも知れませんね。小樽の人口が最大になったのが、昭和35年頃で20万人程で、以降人口の減少が続き現在だは12万人半ばにまでなっているようです~しかしながら「北のウオール街」の遺産のおかげで年間700万人以上を呼び込める、素晴らしい!~↓画像は明治39年建築の「旧名取高三郎商店」小樽の明治後期の代表的商家建築といえます。
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↓明治29年「旧岩永時計店」です。現在はオルゴール堂に貸していますが、岩永時計店は市内の別店舗で営業しているそうです。

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↓明治20年「旧金子元三郎商店」です。明治、大正期に海運業や海産物を扱っていたそうです。
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↓明治26年「旧第百十三国立銀行小樽支店」明治期に函館で設立された北海道に本店を持つ初めての銀行でした、後の「北海道拓殖銀行」
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by flycoachman | 2015-06-14 23:17 | 小樽軟石

小樽軟石建築 12

先週かと思います、小樽入船通りのJR橋脚に軟石が一部使用されていると紹介しましたが、その入船通りに昨日更新の旧早川商店に、よく似た「うだつ」の上った「石ヶ守商店(旧 久米商店)」を見つけました。小樽市指定歴史的建造物のリストには入っていませんが、明治30年建築の建物です、現在も現役の商店として営業しています。隣は高層マンションで100年以上の歴史の重みをもって寄りかかっているような印象が、、眺めるほどに趣があって素晴らしい建築物ですね~蛇足ながら慣用句で「うだつが上らない」とは、裕福な家は財産が多い、したがって火事には気をつける、類焼にも備える、その備えが「うだつ(袖壁)」防火壁で、裕福の証でもあることから、いつまでも生活がよくならず成功もしない人を指して「うだつが上らない」 爺にも当てはまる「うだつ」の話でした。
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by flycoachman | 2015-06-13 22:57 | 小樽軟石

小樽軟石建築 11

明治38年に建築された木骨石造2階建ての 旧「早川商店」です。瓦屋根と「うだつ」を持った純日本風の商家の造りです。軟石壁が小樽の町に良く似合っていますね、  以下小樽市HPからです。

「早川支店は、新潟出身の川又健一郎が茶、紙、文房具を商う早川商店から暖簾分けを受け、現在の場所に開設したのがはじまりで、後に川又商店と店名を変更しています。現在の建物は、明治37年の稲穂町大火で全焼したため再建されたもので、厚い土塗りの防火戸や隣との境界に設けられた袖壁など、防火に対する配慮がうかがわれます。その袖壁には朝日や鶴と亀などの彫刻が施され、繊細な和風意匠でまとめられています。」

早川商店は、HPによると茶、紙、文房具などを扱ったとあります。店舗裏には木造二階建てが二棟と軟石蔵がありますので、小樽から全道へと手広く商いをしていたのではと思います。「うだつ」とは一階屋根と二階の屋根を繋ぐ袖壁の事で防火壁として作られています。表通りに目立つように作られるものですから様々な意匠がみられますね、オーナーの個性が現れるような感じでしょうか、、
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by flycoachman | 2015-06-12 22:58 | 小樽軟石

小樽軟石建築 10

小樽市色内3丁目は大型軟石倉庫の宝庫(笑)ですね、運河が目の前ですから利便性考えた本州の大資本が競うように建てたのでしょう、今日の倉庫は 旧「渋沢倉庫」です。渋沢といえば「渋沢栄一」日本資本主義の父とも言われた旧幕臣ですね、明治期の混乱に乗じ政商として莫大な財をなした土佐藩の出身で後に三菱財閥となる「岩崎弥太郎」や北海道でも多くの利権をもった「大倉喜八郎」などは、戊辰戦争や西南戦争、五稜郭の戦争などでも多くの武器、鉄砲弾薬を扱い時の権力者と結託し政商として莫大な財をなし、今もなお大きな資本力を持っていますが、、「渋沢栄一」は「私利を追わず公益を図る」の信念のもと、東京証券取引所の創立をはじめ五百社以上の設立に関わりながら、当時の富豪の中では唯一財閥を作らなかった高潔な人物でした。日本資本主義の父と言われ慕われる所以ですね。今日の画像の倉庫ですが、明治28年の建築となっていますが、渋沢倉庫の資料では倉庫業を始めたのは明治30年となっていますので、あるいは倉庫事業を立ち上げる以前の倉庫でしょうか、、、財閥の話を書いているとふと思い浮かんだ言葉がありました「富と言うのは海水と同じだ、飲めば飲むほど喉が渇く」欲と言うものは際限がないと言う事でしょうか、、、
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by flycoachman | 2015-06-11 22:17 | 小樽軟石

小樽軟石建築 9

小樽市色内地区は大型軟石倉庫が多いですね~そのはずで目の前が運河、裏側には数百メートル北側に旧手宮駅があり、そこからの引込み線が何本も敷かれ倉庫の前まできていて倉庫は貨車のプラットホームとなっていたのではと想像します。今日の倉庫は、昨日の「大家」家同様、加賀の国、北陸を発祥とした海運商の倉庫です。豪商の軟石倉庫ですから規模も大きく意匠を凝らしていますね~同所に 増田倉庫 広海倉庫 右近倉庫と三棟並んで建っています、驚くことに今だ現役の倉庫なんですね~百年以上経過した軟石倉庫はオーナーは代われど、当初の目的のまま使われている~素晴らしいことですね。最初の画像は「増田倉庫」です。明治36年「増田又右衛門」が建てた物で実用的なデザインですね~
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↓ 明治22年建てられた「広海倉庫」です。加賀の国では、昨日紹介の大家家と並び二大豪商と言われ「広海二三郎」の名は代々当主が襲名したそうです。この倉庫を建てたのは四代目とされています~加賀の国北前船の五大船主の筆頭と言われるほど財力があったのでしょう、広海家は日本海上保険を創立して初代社長となり、 日本海員掖済会や大阪商業会議所を興し今に伝えています。
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↓ 右近倉庫です、「右近権左衛門」十一代目が明治27年に建てたと伝わっています。右近家は江戸時代より、近江商人(現滋賀県)の「荷所船」として活躍し、やがて自前でも買い付け売りさばきをするなど、海商として堅実に利益をあげていきます、商法を近江商人に学び近江商人のポリシーである 三方よし「売り手よし、買い手よし、世間よし」を家訓として、その精神は屋号や船の旗印に見られる「//」一膳箸 に象徴されているようですね~日本海上保険株式会(現損保ジャパン)なども興しています。(参考 小樽市HP 北前船 寄港地と交易の物語)
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by flycoachman | 2015-06-08 22:55 | 小樽軟石

小樽軟石建築 8

小樽市色内2丁目の運河通り沿いにひと際大きな軟石倉庫があります。明治24年に建てられた大家(おおいえ)倉庫ですね~石川県出身の海産物商「大家七平」は二十二歳で家督を相続、代々続く「北前船」の船主で石川県では「広海家」と共に豪商として知られています。加賀の国の豪商と云えば金沢藩の御用商人「銭屋 五兵衛」が有名ですね~時代は大家家より下がりますが、北前船の中継地と言う地の利を生かし、加賀藩の内諾のもと密貿易を行い莫大な富を得たと伝わっています。五兵衛が亡くなっても(獄死) 北前船のルートは継承され維新後も「大家家」「広海家」が帆船である北前船を蒸気船に替えるなど、明治、大正期における日本海の海運を凌駕していたのでしょうね~現在に残る「旧 大家倉庫」軟石の切妻に浮彫りにされた屋号 山に七 の字が誇らしく見えました   (参考 金沢大学資料)
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by flycoachman | 2015-06-07 23:08 | 小樽軟石

小樽軟石建築 7

明治のはじめ、小樽で初めて市街地となったのは、信香町周辺です。現在も同所に明治39年に建てられた 軟石倉庫が三棟有ります 「旧岡崎倉庫」 ですね 臨港線拡幅工事で一部を切り取られたため平成8年に壁が改修されているそうです~道路に面した新しい軟石部分がそうでしょうか、この小屋組は、たる木を棟から軒桁に架けるだけの「たる木小屋」になっているそうです。「旧岡崎倉庫」ですが現在は 田中酒造(株)亀甲蔵となっています (参考小樽市HP) 小樽市内を車で走りながら軟石倉庫を撮りだすと休む暇がないほど多いですね(笑)入船通りのJR高架をくぐって気がつきました、なんと橋脚が煉瓦と石との組み合わせなんですね、軟石かは特定できませんが、小樽らしいレトロな橋脚でした。小樽市内が高架になったのは昭和39年のことで、車社会となり市内の踏み切り近辺は慢性的な渋滞となっていたのではと想像します。橋脚の石組みは何処の産なのか、、調べるのも面白いかも知れませんね、、
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入船通りの高架下の橋脚です、煉瓦を補強するために使用されたのでしょうか、、
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by flycoachman | 2015-06-06 22:32 | 小樽軟石

小樽軟石建築 6

(Wikipedia) によれば、小樽運河が完成したのが大正12年の事だそうで、陸地を掘ったものでは無く、海を埋め立てた「埋め立て式運河」と呼ばれるものだそうです。明治の13年にはすでに手宮駅・札幌駅間を鉄道が走っていましたから、北海道開拓のための物資、生活用品や食料などが続々と小樽港の倉庫に荷揚げされ、さらに鉄路で各地へ送られたのでしょうね~今に残る倉庫群をみれば、捻り鉢巻、印半纏の若い衆が、重い荷を担ぎ船入澗に入った船の舷側に据えられた、あゆみ板を器用に渉る姿を想像してしまい、、往時の喧騒が聞こえてきそうです、、
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by flycoachman | 2015-06-05 22:41 | 小樽軟石

by coachman