北海道photo一撮り旅

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<   2015年 05月 ( 30 )   > この月の画像一覧

小樽軟石建築 3

札幌から高速道路を小樽で降り、そのまま道々17号線に入ると大変な賑わいの運河沿いに出ますね~昭和48年末から昭和59年まで11年間にわたり、小樽運河保存か埋め立てかの大議論があった事が若い世代にはどのように伝わっているのか気になるところではありますが、、小樽の歴史的文化を解体埋め立てか、保存か、小樽の市民運動が全国的な注目を集め、一般市民が中心となり「小樽運河を守る会」が発足し行政との長い間、折衝が行われ運河を半分埋め立てる事で和解しましたね、、市民運動が勝ち取った半分の運河に年間700万人以上の観光客に訪れてもらえる、、これほど素晴らしいことはありませんね~改めて小樽市民に拍手です。今日の画像は運河通り沿いの軟石倉庫群です。
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by flycoachman | 2015-05-31 22:25 | 小樽軟石

小樽軟石建築 2

「小樽」の地名はアイヌ語の「オタ・オル・ナイ」に由来するそうです。明治二年に開拓使が札幌に置かれましたが、物資の輸送は船舶が主流で、そのために小樽港の整備、運河、倉庫の建設が急務で、インフラが整いだすと、本州から大企業の支店が次々と建設され、北海道の行政の中心地は札幌、経済の中心地は小樽となり「北のウォール街」などと呼ばれていました。その時代の建築物群が現在の小樽観光のベースとなって年間700万人以上の観光客を呼び込んでいるのですね~小樽市では昭和58年に「小樽市歴史的建造物及び景観地区保全条例」を制定して建築物の保存に努めています。制定に際し調査の対象になった物が2.357棟有ったそうです。これほど多くの軟石建築を中心にした建物をすべて「小樽市指定歴史的建造」に指定する訳にも行きませんので、絞り込んで現在、小樽市指定歴史的建造物は77件あるそうです。これだけの数、古い建築物があるのですから爺としても忙しい、忙しい、、、今日の画像は自動車整備工場」と「おもちや屋」の看板がでていた軟石倉庫です。(参考 小樽市HP) 明治の40年頃、小樽に仮寓した漂泊の歌人 石川啄木は
かなしきは小樽の町よ 歌ふことなき人人の 声の荒さよ」 (一握の砂)  
赤貧のどん底なれど「小樽日報」の記者としての矜持をこめ詠んだのかも知れませんね~小樽の賑わいが伝わってきそうです。
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↓の屋号の読みは何と発音するのでしょうね~又、悩みが増えました(笑)
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by flycoachman | 2015-05-30 22:49 | 小樽軟石

小樽軟石建築 ➀ 

先月の初め頃でした。仕事も含め何度も何度小樽を訪れていますが、軟石の建築物を撮る目的だけで訪れたのは初めてでした。当然、下準備をして多くの軟石建築物をリストアップして行ったのですが、、目的の建物にたどり着く以前、、いたる処に軟石倉庫を利用したカフェなどの店が目に付き写真を撮るのに忙しくなかなか目的の被写体にたどり着きません(笑)今日の画像もその一つで軟石の建物を利用した「歯科」です。
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by flycoachman | 2015-05-29 22:07 | 小樽軟石

余市町軟石倉庫

「マッサン」でブームになっている余市町ですが、その歴史は古く安永2年(1773年)に松前藩から「余市場所(鰊を獲る権利)」の許しを得た、上の国の住人が鰊漁のため出稼ぎで漁期に来ていたのが最初とされています、、以後、鰊と共に栄えた町ですね~ニッカ余市蒸留所が出来たのが昭和9年ですから、漁業、果実栽培、ウイスキーと産業の基盤が早くから整ったようです。旧下ヨイチ運上家や旧余市福原漁場 などをみれば鰊漁で財をなした、お大尽が沢山居たであろう往時が偲ばれますね~今日の画像は余市で見つけた軟石倉庫です、軽石成分が多く感じられる表面をみれば桃内産の軟石ではないでしょうか、風化が進んでいるので解体される可能性もありますね~軟石産地のひとつ、美瑛町では行政が主導して解体された軟石を集積し、次世代へと美瑛町の産業遺産として軟石を建築用に確保してあるそうです。素晴らしい試みですね~
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by flycoachman | 2015-05-28 22:24 | 小樽軟石
昨日紹介の小樽軟石採掘地の一つ「桃内」からほんの数キロ、余市寄りに忍路(おしょろ)地区があります。海岸線は「ニセコ積丹小樽海岸国定公園」に指定されている風光明媚な所ですが、忍路半島の手前で国道がトンネルになっており、住民以外の方はあまり立ち入らないようですね~江戸時代から伝わる民謡 江差追分で唄われている「忍路高島およびもないが せめて歌棄磯谷まで」の歌詞に出てくる「忍路(おしょろ」がまさに此処なんです。日本海側一帯で昭和30年頃まで鰊漁で大いに沸いた処ですね~その鰊景気の名残でしょうね、小さな集落ですが桃内軟石と思われる倉庫が幾つもありました、想像の域ですが獲れた鰊を乾燥させ身欠き鰊として保存していたのではないかと思います~現在はほとんど使われてはいないようですが、このまま朽ちていくのはもったいない、年間700万人も訪れる小樽市ですから私のような物好きも居ると思います、小樽軟石巡りバスツァーなどの企画があってもいいかも知れませんね、、
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by flycoachman | 2015-05-27 22:36

小樽桃内軟石

梅も桜も散り、早くも札幌はライラックの季節ですね~春色の画像はとりあえず休止して、以前から興味をもってUPしていた「軟石」の話を続けます。昨日は余市のニッカ蒸溜所でしたが軟石の話より「竹鶴 政孝とリタ」の話が主になりましたね(笑)小樽の運河、軟石倉庫群、建築物それに美味しいお鮨、海産物それらの相乗効果でしょうか、25年度の小樽の観光客数が700万人を超えたそうです~歴史や文化を大切に守ってこそ健全な地域の振興に繋がるのですね、小樽運河保存運動に始まり、先の小樽市長選挙でも「カジノ不要」を支持した賢明な小樽市民に拍手です。(又話がそれてしまいました) 昨年11月に開催された「北海道の軟石文化『これまで』と『これから』」を拝聴した際に頂いた資料やお話によると、小樽産軟石は「桃内軟石」「奥沢軟石」「手宮軟石」と三箇所から採掘されていたようですね~小樽やその近郊の使われている軟石が何処の産による物かは鉱物の専門家でなければ難しいでしょうね~運河倉庫などは、札幌石山の軟石も随分使われているそうです、北海道で最初の鉄道が明治13年に手宮~幌内間を走っていますので札幌から軟石を運ぶのも容易かと想像します。今日の画像は桃内にある採掘場跡へ行って撮ってきました。採掘の痕跡がいたるところに転がって、、

↓小樽桃内にある「桃岩」です。赤い線で囲った所が採掘された部分です。

           
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          ↓桃岩に通じる路には古そうな軟石が積み重なっていました。
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          ↓無造作に転がっている桃内軟石
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          ↓採掘場の入り口にある住宅です。間違いなく桃内産の軟石ですね~
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by flycoachman | 2015-05-26 22:40 | 小樽軟石
NHK朝の連ドラ「マッサン」が終了して1ヶ月程経った先月、観光客も少なくなったと思い、余市へと行ってきました。平日でしたが予想に反し大勢の観光客が来ていましたね~私はドラマは見ていませんが、女房などは楽しんで見ていたようす。竹鶴 政孝と妻 ジェシー・ロバータ・カウン 愛称「リタ」との愛情物語は以前から読んでいました~政孝の義理の孫である考太郎談として、妻リタが亡くなった際、政孝が「大人がそれほど取り乱すというのは初めて見た」というほど「おばあちゃんが死んじゃった」と家中で泣き喚いていたと言っています。封建色の残るこの時代の国際結婚の困難を乗り越えた竹鶴夫妻に真の夫婦愛をみる思いですね~竹鶴 政孝を始めて知った時、直ぐに思い浮かんだのが、作家「森鴎外」です、、明治、大正期の文豪ですね、鴎外も留学先のドイツで恋愛をしています、詳細は自伝的小説「舞姫」に書かれていますね~作中名「エリス」は鴎外が帰国した後、追いかける様に来日しています、、しかし、医学を学ぶためドイツに留学させるほどの名家であった封建的一族は当然、国際結婚は反対で、エリスは傷心のまま帰国します~後年、鴎外は自身への呵責でしようか、文通を続けるなどしてエリスを生涯忘れることは無かったとされています。政孝と鴎外、読み比べるのも面白いかもしれません、、さて、本来の目的のニッカ余市蒸溜所の軟石倉庫群ですが、小樽付近で三箇所の軟石採掘が確認されていますね、小樽産、石山軟石も使用されているようです~(余市蒸溜所案内のガイドさん談) 蒸溜所の奥のほうにひっそりと竹鶴政孝の胸像がありました、、よく見かける郷土名士の誇らしい顕彰的なブロンズ像とは違い、その眼はあくまでも優しく異国で眠る「リタ」を温かく見守る慈愛に満ちた眼差しに思えました、、、
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by flycoachman | 2015-05-25 22:29 | 軟石

小樽運河公園

先月、小樽の軟石建築物を訪ねて行った先の小樽運河公園に、親子三人のブロンズ像があり銘板をよく読めば童謡「赤い靴」のモデル「きみ」ちゃんの家族像でした。数年前、函館でも同じような像を見た記憶があり、調べれば全国に七基もの像があるそうです。童謡「赤い靴」については、以前より各方面から様々な意見があるようですが、、それぞれの幼い心象風景のまま、若かった母や父の歌声が流れれば、、それでいいのでは、、以下はブロンズ像の銘板からの転記です、、


童謡「赤い靴」と小樽の街この歌のモデルとなった「きみ」ちゃんは、2歳の時に母「かよ」と共に静岡から函館に渡った。そこで母は鈴木志郎と出会い結婚するが、留寿都村へ入植の際、きみを外国人宣教師夫妻に預けた。その後きみは宣教師夫妻の帰国時に重い結核のため横浜から船で米国に渡れず、東京の孤児院に託され、わずか9歳でこの世を去った。1907年に志郎は札幌の「北鳴新報」に就職し、そこで野口雨情と出会い家族ぐるみの交流を深める。母は娘きみの話を打ち明け、それが雨情の詩となり本居長世が曲を付けて1922年童謡「赤い靴」が生まれた。札幌の後、志郎・雨情は「小樽日報社」で石川啄木と机を並べ親交をもつ。鈴木夫妻は各地を転職した後、1940年小樽のカトリック富岡教会の門前に居を構えきみの死を知らずその幸せを信じ、熱心なキリスト信者として暮らし、今は中央墓地で眠っている。私達は、世界中の苦しみを抱えた家族の幸せを願い、小樽市民をはじめ全国からの温かい募金によって、ゆかりのある小樽の地に「赤い靴・親子の像」を建てた。天国できみちゃんが幸せに暮らす姿を夢に描いて・・・ 
2007年11月23日 「赤い靴・親子の像」建設委員会
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by flycoachman | 2015-05-25 00:20 | 公園
北海道立近代美術館で開催されている「アール・ヌーヴォーのガラス」展を観て来ました~1800年末から1900年初頭にヨーロッパで起こった新しい芸術様式で建築、家具、工芸品など曲線を多用したデザインですね~今回の「アール・ヌーヴォーのガラス」展は「ドーム兄弟」や「エミール・ガレ」に代表されるガラスの花器やランプシェードなどが展示され、その製造技術の素晴らしさは息を呑むほどでした。当時のヨーロッパの芸術はジャポニズムがブームで特に絵画ではゴッホ、モネ、ゴーギャン、ドガなどが影響を受けたことはよく知られていますが、ガラス工芸品もその例にもれず「葛飾北斎」や「安藤広重」のデザインが多彩なガラスの器に写し込まれ、クールジャパンが、この時代からヨーロッパに伝播したとは驚きでした。今日の画像は北海道立近代美術館の前庭にある「本郷 新」制作のブロンズ像「嵐の中の母子像」(昭和28年作) です。帰りに大通公園「ライラックまつり」のスナップです、お天気もよく爽やかな五月の風に、家族連れやカップルやチャイニーズのツーリストも皆、笑顔でしたね、、、「家ごとに リラの花咲き札幌の 人は楽しく生きてあるらし」  吉井 勇
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by flycoachman | 2015-05-23 23:26 | 風景写真

哀悼 船戸与一

作家「船戸与一」の訃報を知り今日で、ひと月が経ちました~私の内では「北方謙三」や「大沢 在昌」と並んでハードボイルドや冒険小説の範疇の作家であり、楽しむための読書には欠かせない作家でありました。「山猫の夏」を始めとする一連の南米シリーズや「蝦夷地別件」などでは壮大なスケール感で楽しませてくれました。反権力で世界の少数民族を題材に執った物語が多かったですね~松前藩の御用商人の非人道的な横暴に耐え切れず武装蜂起した「クナシリ・メナシの戦い」悲しい物語ではありました、、、、合掌
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by flycoachman | 2015-05-22 23:04 | 文学

by coachman