「北海道・クラシックカー・ラリー」Part 14
今日から国産車です「クラシックカー・ラリー」に、エントリーするほどですからいずれ劣らぬ名車ですね~最初は「トヨタ2000GT」続いてマツダ「コスモ」が2台 次いで日産車で「スカイライン」が2台です。いずれの車も平均的サラリーマンだった私が買える値段の車ではありませんでしたが、今もなお、その姿をみれば、40年も前の本屋の立ち読みで車雑誌などを見てはため息をついては、ときめいていた自分を懐かしく思い出しています。
「マツダ・コスモ」世界初、ロータリーエンジンを載せ、量産された車です。最高速185km ゼロヨン加速は16.3秒。当時のスポーツカーの性能を比べても抜きんでて速い車でしした。後年、知人のロータリー車(カペラ)を運転させてもらう機会があり、アクスルを軽く踏み込んだと思ったら背中がシートに押し付けられた体感を今だ忘れずにいます。高性能ロータリーエンジン故、世界のレースでのレギレーションが変えられ締め出された時代もありましたが、再び低燃費、高耐久性、高性能のロータリーエンジンの復活を期待しています。
「MAZDA COSMO SPORT(1969年)」
「日産・スカイライン」ご存知の方も多いと思いますが「スカイライン」の車名は、日産に1966年吸収合併される以前の「プリンス自動車工業株式会社」の由緒、伝統のある名前なんですね~スカイラインが今日まで伝説の車とされる理由の一つに 1964年の第2回日本グランプリにおいてスカイラインGT(エンジンはプリンスグロリァを載せ換たもの)日本人レーサー「生沢徹」がポルシェ904とデットヒートを展開し、当時の国産車が、ポルシェと互角に戦ったことに、プリンスだけではなく、国産メーカがこぞって称賛したのでした。その「スカイライン」をレース界で活躍させデザインしたのが、今や伝説のデザイナー「桜井 眞一郎」です。プリンス時代からのスカイラインの血脈は、今なお日産・スカイラインとして受け継がれています。
「NISSAN SKYLINE 2000 GT-R(1971年)」
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「TOYOTA 2000GT」1960年代、国産メーカーはこぞって自社の技術力をアピールするために高性能スポーツカーを開発し販売していました。信じ難いことですが、現在は世界の「TOYOTA」が当時、大衆車、商用車の開発を主要としスポーツカーのノウハウを持つにいたっていませんでした。そこで「ヤマハ」の持つ高性能発動機の技術やヤマハ楽器に連なる木材の加工技術(ウッドパネルやステアリング)を欲し双方が極秘裏にアプローチし、トヨタ技術者4名はヤマハチームのプロジェクトに加わる形で完成を見た車です。以上の経緯からトヨタの車では無い!と論ずるモータージャーナリストもいましたが、いずれにせよ日本人技術者が作り上げた誇るべき国産車です。
「TOYOTA 2000GT(1968年)」
「MAZDA COSMO SPORT(1968年)」
「NISSAN SKYLINE 2000 GT(1970年)」(通称 ハコスカ)
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by flycoachman
| 2016-07-24 23:28
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