厚岸神社 狛犬 (厚岸町)

「厚岸神社」です。創祀は古いですね、寛政三年(1791年)「最上徳内」更に寛政十年には「近藤重蔵」が訪れ神社創立に関わっています。厚岸の名が文献に見られるのは今から三百八十年ほども前のことだそうで、古より天然の良港であり牡蛎を主要に多彩な海産物が獲れることから、松前藩の交易所「アッケシ場所」として栄えた場所でありました。

狛犬は一対、阿吽(あうん)は定位置で材は風化の様子から砂岩系ではなかろうか、奉納年が昭和十一年十月 行幸記念と刻されていました。昭和十一年十月一日、札幌とその周辺で行われた「陸軍特別大演習」のため昭和天皇が来道し、その前後、道内三十か所ほど行幸したとあり(地方行幸御使御差遺日誌) その際、厚岸にも来られたとのことでしょうか、奉納者は女性名でした。

~閑話休題~「厚岸神社」と敷地を接して隣に「国泰寺」があります。国泰寺とは江戸幕府が東蝦夷地の安定化のために、有珠の善光寺、様似の等じゅ院とともに蝦夷地に三か所官寺を造営し、当地の和人の定着やアイヌ民族の人心を安定を目的とされていますが、、厚岸は良港であることが災いしてか、安永三年(1774年)松前藩指定の初代場所請負人に「飛騨屋久兵衛」がなった事から先住アイヌ民族に対して、さらなる苦役、暴虐、虐遇が行われ、後に最後の戦い「クナシリ・メシリの戦い」となって行くことになります。ゆえに厚岸はアイヌ民族受難の土地なのかもしれませんね~国泰寺の境内に「アイヌ民族弔魂碑」がひっそり建っています。以下碑文より

「弔魂のことば 由来厚岸は美しい自然と資源に恵まれ あなた方の楽土であった。然るにその後進出した和人支配勢力の飽くなき我欲により財宝を奪われ、加えて過酷な労働のために一命を失うものさえ少なくなかったと聞く けだし感無量である。我等はいま先人に代わって 過去一切の非道を深くおわびすると共に。その霊を慰めんがため このたび心ある人びとと相計り。東蝦夷発祥のこの地へ うら盆に弔魂の碑を建てる。 1977年8月15日 アイヌ民族弔魂碑建立委員会」
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「狛犬辞典」上杉千郷/著 「狛犬コレクション」三遊亭円丈/著
「狛犬かがみ」たくき よしみつ/著 「札幌の寺社」札幌市教育委員会
「獅子狛犬と龍」獅子狛犬研究会「神社と神道のQ&A」三橋健/著
「神社辞典」白井永二 土岐昌訓/著「神社と神様がよく解る本」島崎晋/著
「北海道の狛犬」丸浦 正弘/著「北前船寄港地と交易の物語」加藤貞仁著
「狛犬遍路みち」宇野 弘介/著 「獅子と狛犬」MIHO MUSEUM/編
「狛犬見聞録」廣江正幸・永井泰/著
「蝦夷地 場所請負人」ロバート・G・フラーシェム 
            ヨシコ・N・フラーシェム 
(出版社名略)

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by flycoachman | 2018-02-25 22:26 | 狛犬