世界遺産知床半島 最終章

随分と以前の事ですが、仕事の関係で斜里町に数ヶ月滞在したことがありました。休みの日などは、博物館なども何度か訪れ学芸員さんのお話を聞くのが楽しみでした。そんな折、聞かされた壮絶なお話が印象に残っています。今から二百十三年前の文化六年、ロシアの南下政策を懸念した徳川幕府の命により、会津藩、南部藩、仙台藩、秋田藩、津軽藩などの東北諸藩に蝦夷地警備のために四千人以上の藩士が出兵を要請され、要衝の地に陣屋を作りました。

津軽藩は当初、宗谷に派遣されましたが、外国の侵略に怯える幕府は「朝令暮改」の言葉通り、津軽藩士百名を急遽「斜里」の警備に向かわせます。斜里到着は旧暦の八月、季節は現在の暦では晩秋に近いころで、来るべく冬に備え住宅なども急拵えで建てるも、東北仕様の住居では、流氷が迫る酷寒の斜里で防寒への備えは十分ではありませんでした。住居は監視のため浜辺に建てらたそうで、生木で建てられた住宅は次第に収縮し湾曲し狂いが生じ、津軽藩士はロシアとの戦いの前に隙間風と寒さとの戦いだったそうです。

米、味噌などの主食は十分にあったそうですが新鮮な野菜は無く、流氷で閉ざされた海からは魚も獲れなかったそうで、寒さ、栄養不足などで次々に浮腫病 (現代では脚気、壊血病から起因する浮腫、むくみ、不整脈、心室細動) で加えて慢性的な低体温症などから百人いた藩士たちの内、七十二人が亡くなります~北国、津軽の侍とは云え、最果て酷寒の地、斜里で病み、寒さで亡くなる、過の時、藩士たちの望郷の念は如何ばかりであったでしょうか、、

(この話を聞いた後、当時斜里駅前にあった書店で、本件の概要が書かれた本を購入した覚えがありますが、書名、著作者名、など失念してしまいました) (参考 斜里町史) 世界遺産知床の画像は今日で終わります。最近、蝦夷梅雨のようで写真が撮れない!青空と漆黒の夜空が欲しいと思うこの頃でした。
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by flycoachman | 2018-07-04 21:20 | 風景写真