2018年 03月 08日 ( 1 )

平成の大合併で湧別町となった上湧別の「上湧別神社」です。湧別川の上流になることから上湧別となったようです。「宝永三年(1705年)「村山伝兵衛」が宗谷場所を請け負う。それまで先住アイヌ民族の自由な漁獲の場であり、恵み豊かな権益であったオホーツクの前浜や、サロマ湖水は収奪され、アイヌは漁業労働者として駆使されるようになったのである。これによって、狩猟生活は維持できなくなり、また和人の影響により生活様式を変化し、特に請負人の使役法が苛酷を極めたために、男女数の不均衡、結婚機会の減少、妊孕率の減退など人口増加を阻む要素が多くなりアイヌを衰亡に追い込む結果となった。(参考 松浦武四郎「近世蝦夷人物誌」「武四郎迴浦記」)」

神社の由来です「明治三十年五月二十九日、屯田兵制の許に、二百戸が移住し、同年十一月三日(当時の天長節)本村の中枢たる中央練兵場の一隅に木碑を建立し大国主命を祀り幣帛を捧げ祭典を行なった。爾来毎年祭祀を行って来たが、大正十年七月十五日摂政の宮殿下(昭和天皇)の本道行啓を記念として、滋に神社を建立し大正十五年九月二十七日官幣大社札幌神社の御分霊を奉安し、本村の総氏神として崇敬し毎年九月二十九日(屯田兵移住記念日)を例大祭として祭典を行なってきた」

町史によれば屯田兵の入植以前にも、各地から少人数の開拓団が入ったようですが、明治三十年、三十一年 南・北湧別兵村に入植した屯田兵は全国三十五府県から三百六十八戸にも及んだそうです(参考 湧別町史・北海道屯田倶楽部) 前置きが長くなってしまいました。狛犬です、狛犬は一対、阿吽(あうん)は定位置、材は花崗岩、奉納は大正十四年 台座には「施主 個人名」と「彫刻人 ナゴヤ西区 八坂町 角田(ツノダ)六三郎」と刻されていました。角田六三郎は狛犬の名工として名高く、北海道でも確認できます。意匠は群を抜いて素晴らしいですね、子取り、玉取りの意匠ですが吽形の背に乗った小獅子が見事ですね~狛犬の極致とも云えるかもしれません。

花崗岩製の明神鳥居も素晴らしいものでした。柱には「開村三十年紀念 大正十五年建之」さらに奉納者として「南湧別屯田兵部落 北湧別屯田兵部落」「ナゴヤ市西区八坂町 石匠 角田六三郎」の銘も刻されていました。屯田兵として入植し三十年、大正末期、生活は豊かとは云えないまでも僅かな貯えを氏子中として出し合い名古屋の名工のもとへ壮麗な鳥居と狛犬を造らす、屯田兵の気概と誇りを感じさせてくれる鳥居と狛犬でした。「角田六三郎」の他作品はこちらです
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「狛犬辞典」上杉千郷/著 「狛犬コレクション」三遊亭円丈/著
「狛犬かがみ」たくき よしみつ/著 「札幌の寺社」札幌市教育委員会
「獅子狛犬と龍」獅子狛犬研究会「神社と神道のQ&A」三橋健/著
「神社辞典」白井永二 土岐昌訓/著「神社と神様がよく解る本」島崎晋/著
「北海道の狛犬」丸浦 正弘/著「北前船寄港地と交易の物語」加藤貞仁著
「狛犬遍路みち」宇野 弘介/著 「獅子と狛犬」MIHO MUSEUM/編
「狛犬見聞録」廣江正幸・永井泰/著
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            ヨシコ・N・フラーシェム 
(出版社名略)

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by flycoachman | 2018-03-08 22:35 | 狛犬